10月上旬、長崎市の中心部に「モッテコーイ、モッテコーイ!」の声が響き渡ります。踊り終えた奉納団を舞台に呼び戻すためのアンコールの掛け声です。
「長崎くんち(ながさきくんち / Nagasaki Kunchi)」。長崎の氏神・諏訪神社(すわじんじゃ / Suwa Jinja)の秋季大祭で、龍踊り、コッコデショ、南蛮船といった、他の日本の祭りでは見られない異国情緒あふれる奉納踊りで知られます。国指定重要無形民俗文化財に指定されており、2026年は10月7日(水)から9日(金)まで開催されます。
⛩️ 「くんち」の名の由来と、出島とともに歩んだ歴史
祭りの名「くんち」は、旧暦九月九日――重陽の節句の日に始まったことに由来します。九日(くにち)の音が転じて「くんち」となりました。9月の記事で紹介した重陽の節句が、この祭りの起点にあります。九州北部には他にも「唐津くんち」「博多おくんち」など「くんち」を冠する秋祭りがあり、いずれも旧暦9月9日を祝日として神事を行った名残です。
長崎くんちの起源は、1634年(寛永11年)に遡ります。二人の遊女が諏訪神社の神前で謡曲の「小舞(こまい)」を奉納したのが始まりと伝えられています。この年は奇しくも、江戸幕府が長崎港内に人工島「出島(でじま / Dejima)」の造成を開始した年でもあります。出島の建設と長崎くんちの発祥は、同じ年の同じ港町で並行して起きた出来事でした。以後、長崎くんちは出島を通じた対外貿易の隆盛とともに発展していきます。
1639年のポルトガル船来航禁止、1641年のオランダ商館の平戸から出島への移転により、長崎は鎖国下の日本で唯一、ヨーロッパと中国に開かれた窓口となりました。この特異な立場が、長崎くんちの奉納踊りに他の日本の祭りにはない性格を刻み込みました。ポルトガル人が乗った「南蛮船」、中国から伝わった「龍踊り」、オランダ人を描いた「阿蘭陀万才(オランダまんざい)」など、異国文化そのものを祭りの演目に取り込んだのです。日本の祭りが本来「異界の神を迎える」ものだとすれば、長崎くんちの「異界」には海の向こうの世界が含まれていました。
🐉 龍踊り、コッコデショ、南蛮船――代表的な奉納踊り
長崎くんちには「踊町(おどりちょう)」と呼ばれる担当町制度があります。市内に59ある町(うち踊町登録は約40町)が7年に一度の周期で当番を務め、当番の年に奉納踊りを披露します。7年に1度しか出番が回ってこないため、各町は数年前から練習を重ね、衣装や道具に多額の費用と情熱を注ぎます。1回の祭りに登場するのは6〜7町、演目は各町ごとに固定されているのが特徴です。
長崎くんちの代表的な演し物(だしもの)
| 演目 | 担当町(代表例) | 内容と特色 |
|---|---|---|
| 龍踊り(じゃおどり) | 籠町・諏訪町・五嶋町 | 長さ約20メートルの龍を10人ほどで操る中国由来の踊り。玉を追う龍の動きが見どころ。 |
| コッコデショ(太鼓山) | 樺島町 | 約1トンの太鼓山を36人で担ぎ、片手で放り上げて受け止める妙技。7年に1度しか見られない。 |
| 南蛮船 | 銅座町 | ポルトガル船を模した山車。船体を回転させながら奉納する。 |
| 御朱印船(ごしゅいんせん) | 元船町 | 江戸初期の海外貿易船を再現。長崎の海洋都市としての歴史を表現。 |
| 鯨の潮吹き | 万屋町 | 鯨山車から実際に水が吹き上がる。江戸時代の捕鯨文化を反映。 |
| 鯱太鼓(しゃちだいこ) | 魚の町 | 金の鯱を戴いた太鼓山を担ぎ、回転させながら奉納。 |
| 阿蘭陀万才 | 本古川町 | オランダ人を模した衣装で舞う滑稽な演目。江戸時代の異人観を反映。 |
これらの演目のうち、最も知名度が高いのが「龍踊り」です。中国・福建省から17世紀に伝わった舞龍(ぶりゅう)が原型で、日本の他の祭りには類を見ない演目です。龍は玉を追いかけて激しく動き回り、太鼓と鉦(かね)の音、そして「モッテコーイ」の掛け声とともに、踊り場を大蛇のようにうねります。長崎の中華街(新地中華街)が近くにあることからも、この町と中国文化との深い関わりが見て取れます。
もう一つの見どころが「コッコデショ」です。約1トンの太鼓山を36人の担ぎ手が担ぎ、掛け声とともに空中に放り上げ、片手だけで受け止めます。落とせば大怪我につながる危険な妙技であり、7年に一度しか回ってこない出番のために、樺島町の男たちは数年前から練習を重ねます。祭りの中でこの演目が披露されるのは全期間で数回のみで、これを見るために遠方から訪れる観光客も多くいます。
🎌 「モッテコーイ」の掛け声と、観客参加型の祭り
長崎くんちを特徴づけるのが、観客の掛け声です。奉納踊りが一度終わったあと、観客が「モッテコーイ、モッテコーイ!」と声を張り上げると、演者たちが同じ演目をもう一度演じます。「もう一度、持って来い」――アンコールの意味です。演目によっては何度も繰り返され、盛り上がりに応じて祭りの時間が延びていきます。
他にも掛け声にはバリエーションがあります。踊りに対する「ショモーヤレ(所望遣れ=もう一度やってくれ)」、船曳きに対する「ヨイヤア」、傘鉾に対する「フトーマワレ(太く回れ=大きく回れ)」など、演目ごとに異なる掛け声が観客から飛びます。単に演じる側と観る側に分かれるのではなく、観客の声が祭りの進行を決めていく――この双方向性は、他の日本の祭りにはあまり見られない長崎くんち独特のものです。
2026年の主な奉納場所と日程
奉納は市内4か所の会場で順に行われます。同じ演目を異なる会場で見られるのが特徴です。
| 日付 | 主な奉納場所 |
|---|---|
| 10/7(水)前日(まえび) | 諏訪神社・お旅所(おたびしょ)・八坂神社・中央公園 |
| 10/8(木)中日(なかび) | お旅所・公会堂前広場(庭先回り中心) |
| 10/9(金)後日(あとび) | 諏訪神社・お旅所・八坂神社・中央公園 |
観覧のポイント
- 桟敷席(さじきせき):諏訪神社の踊馬場に設けられる有料の観覧席です。全席指定で、例年6月に抽選販売が始まります。演目を正面から見るなら最も確実な方法です。長崎伝統芸能振興会または諏訪神社桟敷運営委員会のウェブサイトで販売情報が発表されます。
- 庭先回り(にわさきまわり):踊町の演者たちが市内の企業・商店・官公庁を回り、祝いの奉納を行うのが「庭先回り」です。三日間の日中を通じて長崎市街の各所で行われ、無料で見物できます。10月8日は特に庭先回りが集中する日です。長崎伝統芸能振興会が当日の巡回ルート表を発行しています。
- お旅所(おたびしょ):諏訪神社の御旅所は長崎市元船町の中央公園にあり、無料観覧エリアがあります。桟敷席が取れない場合の代替として最も現実的です。
- 庭見世(にわみせ):祭りの前日(10月3日)夜、踊町が翌年使用する衣装や道具を町内の民家に飾り、一般公開する行事です。祭りそのものではないですが、長崎の下町文化に触れる貴重な機会です。
- アクセス:諏訪神社へは長崎電気軌道(路面電車)「諏訪神社」電停下車、徒歩約1分。JR長崎駅からは路面電車で約15分。福岡(博多)から西九州新幹線・長崎本線経由で長崎駅まで約1時間30分です。
🏮 出島の記憶を今に伝える祭り
長崎くんちが持つ独特の性格は、この町が江戸時代の200年以上にわたって、日本で唯一「外の世界」を見続けた場所であるという事実と切り離せません。オランダ商館が置かれた出島、唐人屋敷(とうじんやしき)と呼ばれた中国人居留地、そこから伝わった医学・技術・工芸品――長崎はこれらを日本各地に発信する中継地として機能しました。祭りの演目に船が多いのも、龍や異国風の要素が組み込まれているのも、この町の日常が海と外国とともにあったためです。
諏訪神社の境内から見下ろす長崎の街並みも、ほかの日本の城下町とは違います。教会の尖塔、中華街の門、洋館、そして寺社が同じ視界に収まる長崎の景観は、この町が積み重ねた文化の層の厚さを目に見える形で示しています。祭りの合間に長崎の街を歩けば、出島跡(現・出島和蘭商館跡)、大浦天主堂、グラバー園、新地中華街など、祭りの演目の背景にある異国文化の実物に触れることができます。
祭りと合わせて訪れたい長崎の異国スポット
| 場所 | 内容 |
|---|---|
| 出島和蘭商館跡 | 江戸時代の出島を復元した歴史エリア。オランダ商館長の居室や倉庫を復元。 |
| 新地中華街 | 日本三大中華街の一つ。龍踊りの担当町「籠町」もこの近くに位置する。 |
| 大浦天主堂 | 日本最古の現存教会建築。国宝。世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産。 |
| グラバー園 | 幕末期の外国人商人グラバーの邸宅など、洋館群を保存展示。 |
| 崇福寺(そうふくじ) | 中国明代様式の唐寺。国宝の第一峰門・大雄宝殿を有する。 |
🌏 海の向こうを取り込んだ祭り
日本の祭りの多くは、その土地の神を祀り、共同体の結束を祝うものです。長崎くんちも諏訪神社の秋季大祭という点ではこの原則に沿っていますが、その内容は「外の世界を祝う」という方向にも大きく開かれています。龍踊りは中国から、南蛮船はポルトガルから、阿蘭陀万才はオランダから――長崎が接した文化を、祭りの中に一つずつ取り込んで、日本の神への奉納として捧げています。他文化との出会いを、対立や排除ではなく「奉納の対象」として神に差し出す――この発想は、鎖国という制限の中で長崎が独自に育てた文化的知恵と言えます。
祭りが終わったあと、長崎の街は再び日常に戻ります。しかし諏訪神社の踊馬場に残る「モッテコーイ」の声の余韻や、庭先回りが通ったあとの商店街の高揚感は、10月の長崎全体を包み込みます。日本の秋の祭りの中でも、これほど国際色豊かで、これほど観客の声が祭りを動かす祭りは他にありません。10月上旬の3日間、長崎に来る機会があれば、桟敷席が取れなくても構いません。庭先回りの列を追いかけて街を歩くだけで、この港町が400年かけて育てた祭りの熱気に触れることができます。